先人の生き方に思いをめぐらす
この連載を始めて8回目になりますが、改めて何を考えていたのかを振り返ると「人はどうやって生きてきたのか(生きているのか)」が僕の活動の基本テーマであることに気づきました。たとえば昔の人は、どうやって天候や災害を予知してきたのだろうと思うことがあるのです。台風がいつやってくるのか、大雨によって何が起きるのか。さらには地震や津波をどう防ぐか……。
どれも今はじめて起きたことではありません。太古から同じようにありました。天気予報や専門家が周りにいたわけではないのに、どうやって回避してきたのか。
食べ物はどうしていたのか。スーパーマーケットがないとすれば、自分で賄っていたはずです。それをどうやって知り、後世に繋げてきたのか。
身体的に弱い女性や子ども、年配者がどうやって暮らしてきたのか。
カヤックとは生きること
カヤックで海を渡ることは、アウトドア=レジャーの一つと見ることもできますが、私にとっては生きることともいえました。
移動して、食べ物を獲って、火をおこして食べる。そしてまた移動。文明の中で暮らしから電気ガス水道のない暮らしへと向かい、自然の中で暮らすことの現実を垣間見てきたのです。
やがて日常に戻り、自分の暮らしをざっと見回してみて、本当に便利な世の中になったなぁと思うのです。食べ物がスーパーから無くなることなんてないですし、火はガスコンロをひねればいとも簡単につけられます。温かいものも、冷たいものも豊富にあり、家の中の空調ですら思いのまま。嫌なら使わないという選択肢だってちゃんと残されていて言うことなしです。
「アウトドア」と呼ばれる外で遊ぶ際に使う道具だって、使いやすいように変化してきました。旅の形もどんどん変化し快適になり、個人が求めるものはお金さえ介せばほとんど叶っていく世の中になりつつあるようです。
人とのコミュニケーションも時間や空間を越えてあっという間にやり取りできるようになりました。これらはある意味、天国と言っていいかもしれません。
確かに便利だけど、それだけでいい……?
知恵の集積と科学の発展によって、一人の人間が考えて実践しなければいけないことは減り続けています。とっても喜ばしいことだとは思っているのですが、便利になればなるほど、どこか怖いと感じるものが自分にはありました。本来、ヒトが太古から続けてきた根本的な何かが失われていくような、五感も失っていくような……。
ここ数年の個人的な葛藤や実践は、これまでの連載で書いてきたとおりですが、そうした便利さによって失われた大切なものを地域の仲間と共有し、身近なところで取り戻せるものは取り戻していこうと始めたのが「そっか」という活動です。
大昔からの人間活動を今に伝える
かつて、地域の自然と人の暮らしの交わる場所に、子どもの遊び場がありました。自然と暮らしが切り離されたことで子どもの居場所がなくなったのなら、逆に今、子どもと本気で遊ぶことで、自然と暮らしをつなぎ直すことができるかもしれない。そしてそれは、誰でも、どこでも、始められるはず。そんな気づきをきっかけに、一般社団法人「そっか」がはじまりました。
そっかのHP(https://sokka.life/)には、そんなことが書かれています。
「食べる」「つくる」「あそぶ」そして集う。この大昔から当たり前に行われてきた営みを「人間活動」とし、子どもも大人も、半径2km内に暮らすご近所さんとともに楽しみながら、本当の意味での“地域共同体”を育むべく活動し、3年目を迎えています。
つながる「そっか」の活動
実際、誰が何をしているの? と聞かれます。いろいろやっているのですが、日常的にやっているのはこちら。
・未就学児親子の自主保育「うみのようちえん」
・小学生放課後の自然学校「とびうおクラブ」
・中高生の自然学校「アンカーズクラブ」
・あったらいいなをみんなでつくる実験場「うみのじどうかん」
・逗子の海から世界を知る「相模ワンダーラボ」
・関係性と野菜を育てる「互近助(ごきんじょ)ガーデン」(*一般社団法人はっぷと共催)
・捨てられるはずだった有機野菜をレスキュー!「もったいない野菜基金」(*スローフード三浦半島と協力)
不定期なイベントとしては、
・水辺で思い切り遊ぶ「じゃぶじゃぶ」
・季節の山菜や海の幸を採ってきて、皆で食べる「そっか感謝祭」
専門的な知識や資格を持つコーチもいますが、運営している主体は地域のママさん、パパさん達。150人ほどの子どもたちに、その兄弟や親を入れれば500人近くの人が関りながら活動しています。
すべての根っこは自分の足元に
といっても、スタートからすべてがうまくいっていたわけではありません。初めは数名の仲間内の雑談から始まりました。「あーなったらいいよね」
「こうしたいよね」
皆が自分の実感を持って主体的に関わる町内会、そしてその先にある社会。世界的な問題も、その根っこはやはり、自らの足で暮らしの大地を踏みしめ、主体的に遊んだ子ども時代に育まれるものなのかもしれません。
小さな物語を積み上げよう
政治的な左右で、その時だけ個々が繋がっても地域の未来は作り出せないのではないか。小さな小さな物語の積み上げによって、僕らは初めて未来を作っていけるのだと考えるようになりました。
こうした話はどこにでもあるかと思いますが、それを実践に変えていくのが難しいのだと思います。まだ海のものとも山のものともわからない小さな動きですが、次回から、どんな風に展開していったのか失敗も含め書き記していこうと思います。