海に生きる八幡暁の”足元サバイバル”#5~あしもとの衝撃~

八幡さんが目黒川に通うきっかけとなった第4回連載はこちら


目黒川に通いはじめて、数か月が経っていました。


川をじゃぶじゃぶと歩き、落ちているゴミを拾っていると、いろいろなゴミに出会います。海ではビーチコーミングという遊びがありますが、その都市ゴミ版。それぞれに、ドラマがあります。


折り畳み式のガラゲーが半分に折られたもの。タバコの吸い殻がやたらと多い場所。中身の抜かれた財布。お店の看板。何故か大量の髪の毛や生理用品…。それらを掃除しながら川歩き。

足下は道路と違って歩きにくい。ときには深い穴があったりして、スリリングです。


転んでも水は綺麗なので、それほど気にすることもありません。

が、ある日のこと、事件が起きたのです。

それは小雨が降っていた日のことでした。ここは都市河川、川に降りる前には急激な増水のリスクだけは避けなくてはなりません。雨雲の具合、積乱雲の発達があるかないか。その日の天気を確認します。

大丈夫であることが解り下に降り、そしてデッキブラシを片手に、滑りやすくなった川底の苔をとっていました。しばらくすると、どこからか重低音が耳に入ります。

グゴゴゴゴォーーー…。

なんだろう。音は排水溝から聞こえてきます。普段は全く水が流れていない配管です。仲間が集まり穴を覗いていると、音は次第に大きくなってきたのです。

「ちょっと離れとこか。この雨程度で水が出て来たりしないよね、まさかとは思うけど。」

基本的に大雨の時以外、この排水溝から水が出てくることはないと聞いていました。

目安は?と問えば、一時間に50ミリの雨で未処理の生汚水がオーバーフローしてくるというのです。オーバーフロウ?? つまりトイレの水も、家庭でお皿を洗った水も、工場で何かを洗浄した汚水もひっくるめて、そのまま河川へ流れ出し、海へと向かうことを意味しています。

簡単に下水のことを説明します。

下水管には、分流式下水道と、合流式下水道があります。雨水と汚水を、別の管で通すか、同じ管で通すか、の違いです。

合流式では大雨によって汚水が海へ流れるので、本来は分流式が良いのはわかっています。しかし戦後、東京都などは合流式で配管しています(23区内では80%)。全部を分流式に変えるのは莫大な費用がかかるというのです。

つまりは、変えられない。

地中に大きな汚水プールを作って、生汚水を貯めておく施設を作っても対処しきれていないのが現状。浄水場に無事、辿り着いても、大雨の場合、浄水場の一日おける処理能力を越えることが多く、塩素だけまぜて海に流してしまうのだというのです……(えぇーーーと叫んでしまいましたが)

さて、聞こえてきた轟音に話を戻します。


その後、穴から酷い悪臭を放った水が滝のように流れだしてきたのです。これが生汚水。この現代になっても、下水処理は整備されたとはいえないのです。

相対的に見れば、日本の下水処理能力は高いと聞いていましたから、尚に驚きでした。急いで地上にあがります。少し呆然とし、ショックもありました。

基本的には綺麗な水が流れていると思っていたし、ここ(目黒川)は都会の中に埋もれた人が制御しきれない水辺(アウトドア)。自らリスクを考えながら、子供たちが遊べる環境になる稀有な場所になると考えていたからです。

ここに流れている水は、新宿区にある浄水場から綺麗にした水を絶えずながしていた理由がわかりました。つまりは、生汚水が流れたあと、洗い流すべく水が必要なのです。

家の水洗便所を絶えず流している状態と同じことになります。本来の目黒川は、下水管の中を通っていて、今の河川には流れていないこともわかりました。

ということは、今の川は、ただの水洗水路なのか……。川底、川の側面に髪の毛やらが大量に付着しているのもその時、合点がいきました。

突きつけられた現実は重い。


自分たちで、下水の仕組みを変えることは出来ません。まず雨の日には、お風呂にはいらないとかトイレを流す頻度を控える、そんなことしか直接的には出来ません。

そして住民に知ってもらうことくらいです。行政からは、どんな理由があるにせよ、川に降りるといった活動は辞めて欲しいという連絡が頻繁に入るようになっていました。

ここでケンカしても始まらないのだけど、今のままで良いわけがない。

どうしたらいいのか、答えはわかりません。

僕は目黒区に住んでいるわけでもなく、わざわざ電車に乗ってやってきているというのにも、無理がある気がしてきました。暮らしの環境は、そこに住んでいる人の意思が必要だからです。

自然で遊ぶことを趣味としている人は、都市部にも多くいるはずです。といっても、自分の暮らしている足元を自分が汚し続けているという意識はないでしょう。

どうしたものだろうか。

世界の漁村を旅し、人の暮らしを見てきたつもりでした。自然と折り合いをつけて生きている人たちは、例外なく、足元で折り合いをつけて生きていました。自分自身も、海を渡る力も、食べ物を獲ってくる術も身に付けました。

学んだことが多かったはずなのに、わたし自身の暮らしの場の加害者であるという現実を突きつけられたとき、オロオロしたのです。

夢を追うとか、好きなことを実現するとか、そういうことも大事なのかもしれないけれど……。

身近なところを手入れするという一番重要なことを忘れていたのではなかったか。

次にやるべきことが、見えた気がしたのです。

八幡暁さんの過去の連載はこちら

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